母衣衆(ほろしゅう)

母衣衆(ほろしゅう)
現在松江城周辺で行われている水燈路。殿町の隣にある母衣町(ほろまち)。町名の由来は「母衣衆」
母衣は甲冑 (かっちゅう)の背につけたマントのようなものです。
古よりありますが、戦が大規模化した戦国時代に入ると、「母衣衆」が組織化され、
平素より大将直属の親衛隊として、戦時には敵味方からも識別しやすい派手な母衣(マント)を纏い、
敵の標的にされる中、戦場を早馬で駆け巡り、本陣と前線部隊の間を行き来する伝令役を務めた、武人の憧れの存在でした。
松江城を築城した堀尾吉晴は、信長、秀吉、家康に仕えておりました。
信長の「黒母衣衆」「赤母衣衆」、秀吉の「黄母衣衆」が有名ですが、吉晴も母衣衆を組織していたと思われます。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP