佐太神社は「神在の社」として知られ、中世~太閤検地で領地を減ぜられるまで神領7千石・神職224人を有していたと伝わります。
「ぜんざい」は、佐陀大社の神在祭の神送りの日に御供えされていた餅と小豆を煮て再び御供えする「神在餅(じんざいもち)」が起源とされ、それが京に伝わり、「ぜんざい」として全国に広まったと云われております。
当時はもちろん砂糖は存在せず、ほのかな甘味のぜんざいだったようです。
京都市北部は元々、出雲王朝一族である「出雲氏」の地盤。
やがて、奈良から勢力を拡大してきた加茂氏(こちらも出雲王朝一族)の勢力圏に入り、京の都の基盤が形作られていきます。「加茂氏」は「出雲氏」を同族祖先をもつものとして、下鴨神社内に「出雲井於神社」を摂社として祀っております。
このように、出雲は京都と非常に関係が深かったようです。
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