【賣豆紀(めづき)神社 神在祭】

【賣豆紀(めづき)神社 神在祭】12月3日~9日
直会の後も、さらに神々が逗留される神社~その理由は…
主祭神は絶世の美女神と伝えられる「下照姫命」(シタテルヒメ)。
出雲に国譲りの交渉に向かったワカヒコはシタテルヒメに一目で惚れ込み、交渉を放棄してシタテルヒメの婿養子になってしまいます。
その他、賣豆紀神社には、シタテルヒメをひと目拝まないと帰れないと、多くの神々が訪れます。中には翌年まで帰らなかった神もいらっしゃる。というエピソードも。

シタテルヒメを主祭神としている神社は、比賣神社(富山)、玉津岡神社(京都)、長柄神社(奈良)、龍田大社(奈良)、鴨都波神社(奈良)、高鴨神社(奈良)比売許曽神社(大阪)、売布神社(兵庫)、倭文神社(鳥取、岩手、茨城、三重、等々)、下照姫神社(福岡)など、各地で祀り崇められています。相殿や副祭神として祀られるものを入れると、さらに多くの神社で崇敬され、祀られております。

下照姫の業績は大国主命とともに、この国の基礎を築いたとされ、子宝、医療、土木・土地改良、産業振興等など多岐にわたります。
各地の気候風土に合った、衣食住医療に役立つ草木を育て、特産品を開発して交易をする。とりわけ各所で功績を称えられるのが「ハタ織り」。「ハタ織り」というと秦氏を想像しますが、秦氏による「ハタ織り」の技術革新より数世紀前に、畑で桑を育て(※蚕はクワしか食べない)、蚕を育て、糸を紡ぎ衣服を作る生産工程を作り上げ、日本各地でその基礎地盤を築いたのが下照姫。
最初の年明けまで戻らなかった神のエピソード。それは女神が恋しくて通い詰めたという浮ついた話ではなく、この技術を何とか習得して古里に持ち帰りたいという切実な思いがあったと思われます。

さて、日本全土に技術が広まり、時代が下っていくと、やがて出雲よりはるかに豊かに発展していく地域も出てきます。
それでも後の大和朝廷の基礎を築いた奈良の豪族達の多くが、自らの祖神を出雲の神と崇め、その他の様々な地域でも、下照姫が祀られ続けております。

子宝いぬ

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